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血と汗と涙のシート製作記

2013.09.14

BMW 水冷 R1200GS R1250GS ローシート 試走 2日目。

昨日の更新を見て早速試乗に来ていただけましたよ。

既に社外のローシートを装着されていましたが、今回乗り換えです。

シートの話ね。

 

セミオーダーでご注文いただきました。

他にも詳細ページからのご注文やら試乗についてのお問い合わせも!?

ブログで発売開始した翌日注文の神話? が何とか継続デケタぞう♪

 

皆様有難う御座いますー。

 

ということで、

 

1日目の続きな。

 

今日は、内容も重いし長いですよ。

思い出にと画像を大きめに上げてあるんで重いかもしれません。

そこんとこ一つ宜しく頼む。

 

 


大きな地図で見る

二日目は、舞鶴スタートで自宅までですね。

 

 

ホテルで朝食即やっつけ舞鶴港方面へ向け出発しておよそ150m。

んー。

何かこの商店街のこのアングルからのビューを見た事あるようなー。

自分は普段東京のシティーボーイの様な素振りをしていますが、実は、舞鶴 (京都) と下妻 (茨城) のハイブリッドなんですね。

 

父方が舞鶴なんで、毎年夏には家族全員車で舞鶴まで帰郷していました。

ただ、自分が9つの春だったか親父はバイクで事故を起こして脊椎損傷してしまったんです。

今でも恨む事ある親父なんで名誉の為って事ではありませんが、信号無視の車 (ウトウト) が交差点内進入して来て10m程飛んだそうです。

 

胸から下半身不随ですよ。

手は動くけど指は動かないみたいな。

その後の数年を国立療養所にて治療やリハビリして過ごし、結局逝くまでの26年間を車椅子で生活しました。

 

まー、はっきり言って色々最低でした。

子ども4人お袋ばーちゃん46歳働き盛りの大黒柱がいきなり介護が必要になるんですから。

そんなこんなで、舞鶴に来たのは8つの夏が最後だったんです。

その後の展開が強烈かつ急展開だったので、封印していたと言うか線と線が途切れちゃったというか、何かこうシコリみたいに

残っているんですね。

 

何かわざわざ意識して振り返って見るとって感じでもあるんですが。

で、気が付いたらもう少しで自分の子が同じ年齢になりつつある。

というか、自分もその頃の親父の年齢にって話なんですが。

あの頃、親父の仕事 (自営) を専業主婦だったお袋が引き継いだりとメチャメチャになっていたと思うんです。

お袋に負担を掛けちゃいけないって思いが子供心にあって、9つなりに頑張っていましたね。

 

日曜の朝、 『おかーさーん。 ご飯まーだー!』 って言ったら

『アンタ何言ってんの! おとーさん死ぬかもしれないのよ!』 って。

イヤイヤそんなん初めて聞いたしみたいな。

自分で飯を作れるようになったのもその頃からです。

隣のスーパーで腹膨れるまで試食しまくったりもしましたね。

仕舞いにいつもの子だってパートのおばちゃん。w

 

悪ぶるヤツらはガムとか盗んでいましたが、自分は主にソーセージ (シャ○エッセンとかの高級品w) とか食料を。(汗)
って犯罪ですね。

兎に角、当たり前の事が当たり前じゃなくなってった。

事故後初めて親父に会った時、病室で半回転ずつ回るベットに横たわる親父の脇には落ちないように砂袋。

どっから取ったか刈られた頭からワイヤーが出てて、滑車の先に砂袋が垂れ下がってる。

脊椎を伸ばしているんだとか

根元を直視出来なかったもんなー。

『長男はアレだから、これからはお前が家族の面倒を見ていくんだぞ!』 とか言いやがった。

ん?

オレ9歳だよ? って。w

 

まー、それでもそうなんだなーって覚悟したっけ。

あの頃の自分と同年代の近所のチビ達を見て、 『あー、あのときのオレってこんな小さかったんだー。』 ってちょっと悲しくなってみたり。

9つって、大人じゃないけどもっとしっかりしてるもんだと思ってた。

当時の自分は結構しっかりしてると思い込んでいた。

 

そんなで、そこからとそれまでの線が離れちゃったんだろうね。

自分が24で結婚するまでは舞鶴が本籍でした。

自分で籍を作るときに東京に移して、今は自宅を買ったんでそこになっています。

まー、そな感じで、こんな機会だしもう一度あの夏過ごした所へ行ってみても良いかなーと。

 

 

で、商店街は進入可だったからキョロキョロしながら入っていくと、何か強烈に何か引っ掛かる家々の並びが眼前に飛び込ん

できた。

うーん。

でもそれっぽい家がない?

親父の実 (ばーちゃん) 家ね。

まー、ばーちゃんも他界 (明治30年生 享年104歳) して久しいし、生前の親父がうっ払ってしまっている。

町並みも少し新しく変化してるし、まだ現存してるなんて望む方が野暮か。

実は、前日ホテルで寝る前ナビやらグーグルマップで調べたんだけど、上手く出てこなかったんだよねー。

 

 

そうそう。

こんな用水路が何処にもあって、そん中で小エビがピコピコ動いてたっけ。

当時は当然そんな事知らなかったんだけど、舞鶴って山間で海に抜ける細っそい町なんだね。

山間で水が豊かなのかな?

 

 

ちょっと歩くとこんな長屋もある。

まー、後も詰まってるしって今日中に帰るつもりなんで先に進もう!

 

 

舞鶴の海上自衛隊では沿道からもこんな艦艇を見る事が出来る。

 

 

見学してみてー。

 

 

暑い中ご苦労様デス。

しかし、舞鶴暑いネ。

 

 

舞鶴にも 赤レンガ倉庫 がある。

横浜のが1911年 (明治44年) で舞鶴はそれより前の1903年 (明治36年) だって。

 

 

 

 

 

 

やっぱり気になって赤レンガから戻ろうと。

で、ナビで色々思い付く住所で入れてみたら見付かった!?

そしたら、さっき強烈に引き寄せられた家々と反対側に元ばーちゃん家があった。

右じゃなくて左だったって感じ。

たぶんこれがそうだと思う。

隣の表札64ってなってるし。

当時もうなぎの寝床みたいな家だと思っていたけど長屋だったんだねー。

ばーちゃん家は雑貨屋だったのだ。

値札やら何やら商いする人に向けた雑貨。

たまねぎ詰めるオレンジの編み網丸めて 『みかんー!』 とか言って遊んでたっけ。

 

 

そしたら、また向かい側の商店に強烈に引き寄せられる。

あー、何かここで菓子買えとか駄々こねたような無いようなー。

つーか、これまだやってんのか?

で意を決して、 『すんませーん。』 と。

 

 

あー、やっぱここだー。

で、おばーちゃんが出てきてくれたんで、

『あのー、向かいのあのシャッター下りてる家が65ですかねー?』

『だれ?』

『うえやまです。 あそこに住んでた次男坊の息子なんです。』

『あれー、むっちゃん (睦雄) とこのー。』

『オレ32年前にここで菓子買ってもらってるんですよ。』

『あーそうなんかー。』

で、たった10分位なんだけど昔話たくさんしてくれた。

うちにはばーちゃんも親父も居ないわけだから、もうこういう話は直接聞けないからね。

『今年米寿だけどなーんも嬉しくない。 ここらの昔からの人は皆ーな死んでしまってなー』 って言ってた。

ばーちゃん長生きしてね。

有難う。

 

 

で、引揚げ桟橋へ。

これは復元した橋。

ばーちゃんは、引揚げ者にずっと炊き出しを振舞ってたんだと聞いた事があるんでね。

舞鶴は一番最後まで引揚げ者を受け入れてたらしいんだ。

 

 

 

 

 

 

まぶたの桟橋舞鶴よ

一、 遠い潮路のなつかしく 君を訪ねて来た港 あの日のふる里踏みしめた .

まぶたの桟橋舞鶴よ嗚呼 引揚船よ今いづこ

二、 あつい思いは波の背に 今もせつなく湧いてくる 六十余万のたどるみち

まぶたの桟橋舞鶴よ嗚呼 記念の丘よ何故かなし

 

三、 積る涙を抱きしめて せめて浜うた聞いてくれ 未だにはかないあの人も

まぶたの桟橋舞鶴よ嗚呼 五老ヶ岳よ白鳥もなけ

 

 

 

語り部の鐘。

一打 強制抑留中死没された方々の招魂 ・ 慰霊

二打 強制抑留 引揚げの苦難顕現

三打 平和祈願 不戦の誓い

 

 

湾だから鐘の音が響くんだ。

 

 

ここからもう一箇所思い出の地へ。

 

 

で、途中ふと見た無人の駅に吸い寄せられる。

 

 

 

 

特に思い出は無いのだけれど。

 

 

 

 

 

 

で、当てずっぽで行ったんだけど、何度か行ったり来たりしながら見付けたぞー!

『あの頃キャンプしたあの海岸何処だったっけ?』 と昨日お袋に電話したら、

『ちょっと待って。 今日本地図出してくるから。』

『イヤ長くなりそうだから自分で探してみるわ。笑』

 

 

この海だよ。

 

 

車を停めて荷物も持たずこの丘を駆け上がった。

 

 

で、この海を見たんだ。

 

 

で、この松林がキャンプ地。

 

 

この場所から1週間毎日この海を見たんだ。

 

 

うわー。

覚えてるよ!

ここにテント張ったよ。

 

 

違う夏にはここにも張った。

毎年ここへ来てた。

 

 

この流しで食器を洗った。

土留めっつ-か、砂留めのトタンも当時からこんなだったよ。

 

 

シャワーはこんなだったか?

もっとスゴイ高い位置にあった気がしたんだけどな。

 

 

こんな蛇口だったようなー。

 

 

そうだよ! 数本ある内のこの防波堤だよ!!

 

 

32年前ここから飛び込んだ。

 

 

ここは怖かったなー。

 

 

 

 

親父にあの島までボートで連れて行かれ、気が付いたら親父 (ボート) が居なくなっていて泳いで帰ってこい! みたいなのが

恒例だった。

3歳から水泳やってたんで泳ぐには泳げたんだけど、ジョーズとかの影響で 『海はサメに食われる!』 とかって泣きながら泳いだっけ。www

下が見えるんで怖かったのを覚えてる。

子供の頃、海と言えばこの透明度だった。

でも、中学入ってから逗子へ行ったとき、浅いのに底が見えないんでスゲーびっくりしたんだよなー。

って、逗子と言えば金箱さん。笑

 

 

水を見て海を見ず。

ここから向こうの防波堤が全てだった。

小さかったんだな・・・オレ。

 

 

砂浜のかにもコイツラだったぞ。

コイツが素早しっこくて、全然捕まえられないんだよ。

って、今でも捕まえられなかった。(汗)

 

 

はな坊に土産の約束をしたから。

まだこれが通用してる。w

で、思い出に涙出そうになるもまだまだ先がある。

ってことで、先に進もう!

でも、胸が一杯で意気揚々。

 

 

砂にはまった。笑

子供と海水浴してる若いおとーちゃんが居たので助けてもらった。

起こした後、スタックしちゃって二人掛かりでも動かせない。

砂丘恐るべし。

結局、50cmバックするのに10分以上掛かっちゃったよ。

見知らぬ人有難う。

一人だったらヤベかった。

日中で良かったッス。

で、小浜でガソリン補給してミニストップでソフトクリーム食べて500ml ペットボトルを飲み干す。

『もしもしー。 ご無沙汰してますー。 今小浜なんですけどー。w』

『おー。 さっきブログ見て、もしやーと思っとったんですわー』

 

 

ミニストップから240km一息で走り、富山の祐太ぱぱ&祐太ままの所へお邪魔しました。

『うえやまさん。 泊まって行きますか!』

『いやいや。 帰りますって。笑』

しかし、久しぶりに会えて嬉しかったー。

 

 

調べたら、前回、青鹿夫婦と行ったのが2006年の8月でしたよ。

その ちょっと前にも 青鹿とタンデムで行っていますね。

もう7年経ちますか。

早いですねー。

で、アイスコーヒーいただいて次何時になるか分かりませんが約束をして。

名残惜しかったのですが、日が沈む前に松本まで抜けたいなーと。

しかし、相変わらず慌しくてスンマセンでした。

また行きます!

 

 

で、富山から次に止まったのが諏訪湖と。(汗)

あっ。 道中突然の雨で合羽を羽織ったか。

でも、富山からの帰り400kmはここの次自宅みたいな。

 

 

本当は、途中の飛騨の景色見ながら停めて写真撮りてー!! なんて、そんな所が沢山あったのですよ。

今回全然休憩していないのだ。

 

 

あったー。

松本ICからだとだいぶ遠回りなんだけど、上信越まで戻って横川SAで釜飯食いてなーと富山出たときから考えていたんですね。

飛騨辺りで牛串でもとも思いましたが、結局止まるのも嫌だし雨のまま日が暮れて上高地からの下り目に来るなーと先に歩を進めました。

 

 

あんずをどのタイミングで食べるか迷うわけです。

未だ答えは出ませんが、結局どのタイミングでもイケてます。

あと栗もね。

それと山葵漬け。

ここから小仏トンネル手前まで豪雨に遭遇。

アスファルトに打ち付けた雨が跳ね上がって霧になるくらい。

イヤンなっちゃう。

けど走り続けた。

 

 

1日目 676.9km

2日目 672.1km

これだけ違う道を走ってきて4.8kmの差でしたよ。

 

で、高い位置ですが、さぞ高い位置は楽だろうなと考えていましたが、イヤイヤ低い位置が思いの外良いじゃないかとなりました。

まー、高い位置が悪いって事じゃないんですよ。

低い位置が思いの外悪くなくて。

(想像するよりかなり良かった。まー素直に言うととても良かった。 )

バイクに乗って知らない道を走ってみると、 『この道入って行ってみたいな。』 とか 『この道抜けると何処へ出るんだろう。』 なんていつも気になる道があったり 『あっ! 今過ぎた所?』 って事が往々あるでしょう。

そんなとき、大きいバイクだからとかって入っていくのに躊躇せず済んだり、引き返すのが億劫にならないんですね。

足つきが良いと。

 

まー、やっぱり重いんでそりゃー億劫な部分もありますが。w

空冷のRGSのときは、高い着座位置の操作性や有利な部分がとても多かった気がします。

だから、足のつく範囲で高い方を選んで下さいとしていました。

水冷になって何が変わったんだろう? 何故? ってのはまだ頭の中で整理が出来ていないのですが、バイク側の介入度が増しているのは確かでしょう。

 

今までそれに楯突いていましたが、もう任せてしまっても良いのかなって域に達して来ているのかもしれません。

自分はプロですから、キャスタトレールどうなっているか等カタログスペックをにらめっこしてみたり、車体の構成やそれらがどう

機能するのかどう動かすのかとか、設計側の意図を紐解いてみたり、前モデルからどう変わったのか等、色々模索し検証するわけです。

少なからず、一般的なユーザーと違った目線で物を見ています。

穿った物言いですが、物を作る上では同じではダメ。

もっと先を見ていないとダメなんです。

 

それと同時に通勤や下駄に使ってみたりとユーザー目線で使い勝手も確かめます。

実際に下道高速絡めて長距離のツーリングにも出掛けます。

純正シートでも同様にですね。

休憩少なくストイックな走り方もしてみたり。

 

そんな事を続けているので多少御託を並べる事も出来るようになりました。

納車されてしばらくは、エンドユーザーとしてこんな速さが無くとも良いんじゃないかとか色々ある訳です。

空冷から乗り換える必要は無いかなとか。

個人的にも業界人的にも機械的にも、良いバイクいまいちのバイク悪いバイクってのがあるんですよ。

 

でも、こうやって出掛けて沢山の景色を見て、人に会ったりときには倒したりして車体に傷が付いていく訳ですが、これで何処行ったなとか、結局そういう方が大事だなって思うんです。

かと言って、学びを捨てる気はありませんが。

 

まー、取り留めのない話なのですが、この水冷R1200GSであれば、日暮れ前の段になって 『あー、あと400kmあるのかー』 って場合でも 『雨降りだけどどうする?』 なんてときでも 『ヨシ! 進もう!!』 って気になれるんです。

そんな使い方をする人の助けになるんじゃないかなって思うんです。

このローシートも。

 

で、テストの結果としては、1.350kmを64Lのガソリン使って走って何も起こりませんでした。

その何も起きないのを確認しに自分自身2日掛けて走りました。

何も起きないのも性能の証だと思います。

 

あと、自分で作った物を使った事が無いって恥ずかしいと思うんですよね。

使った事が無ければ、人に正確に説明出来ないと言うか時として嘘を付いたり誤魔化したりしなきゃいけなくなる。

知っていれば事実を淡々と伝えるだけですからね。

嘘や誤魔化しなんて良い事なんかありませんから。

どれだけそれらを潰せるかが勝負です。

そんなこんななんで皆さん買って下さい。

足つきは大丈夫って170cmちょいの人にも気に入ってもらえると思います。

勿論、これからミディアムシートも作りますよ。

 

まー、気になるようなら是非一度乗っていただきたいなと。

 

 

 


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